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なんてったって意思表示!~憲法13条から「個」が抜ける?(4/30伊藤真さん講演会より)

  • たけちゃん
  • 2016年5月31日
  • 読了時間: 3分

一昨日の報告に引き続き たけちゃん です。 さて、伊藤真さん講演では 憲法13条前段(個人の尊重) 「すべて国民は個人として尊重される」…ここが日本国憲法の根本価値(立憲主義の根本目的)だと紹介されました。

なお、自民党の憲法改正草案では、13条前段から「個」の一文字が抜け「すべての国民は人として尊重される」になってます(どんな意味があるのー?) 一人一人を大切にする。 誰もが個人として尊重され、幸せになる権利を持つ。 自分の幸せは自分で決める(自己決定権) …そして私が何より印象が強かったのがここの解説でした。 「憲法はプロセス重視。生きる過程自体に価値がある。いかに生きるかが重要。」 「一人一人の個人の幸せのために国があるのであり、国のために個人があるのではない」 「人は皆違う(個として尊重)→多様性→人と違うことは素晴らしい」 「多様性を受け入れて矯正できる社会を目指す」 えええええ。す、素晴らしい。 憲法そんな考え方だったのか!!! でもでもでも 今の日本てそういう考え方、みんなに身についてないように思います。 子どもの通っていた公立の学校を見ていてよく思いましたが 特に運動部とか体育会系な感じの先生って、プロセス重視と真逆ですよね。 学校だけでなく世の中全般そうかもしれません。 オリンピックでもなんでも、メダルメダルばっかり騒ぐ。プロセスなんてほとんど見ない。結果が全て!!! 自主自立とか、個の尊重とは真逆な流れが多い。 みんな一緒に頑張ろう!と感動を煽り そんな調子で、みんなで力を合わせて組体操とか。 先生と違う意見を言うと、口答えするな!と一喝されて終わりとか、学校ではよくあります。 子ども達は諦めてやり過ごしています。 そうやって大人になっても諦めたままの人が多いように感じます。 学校(PTAや生徒総会)でも、地域でも、役所でも、会社でも、それは見られます。 慣例とか慣習をやめる勇気がない。 続いてきたことを踏襲していれば大丈夫と思っている。 こうした方がいいんじゃないか?と意見をいっても 予算がない、ずっとこうやってきたから、と言われて終わり。 そこから意見を出し合って工夫していくプロセスを経るとか 意見を伝える努力、試みなどなく、みんなあきらめてしまっている。 そうやってなあなあでやってきて なんとなく折り合いつけてきているだけ。 出る杭は打たれるから目立たないように過ごす、それが生きる術。 政治などを話題にして角が立つくらいなら話さない。 …そんな自主性も個の尊重も否定される中で育っていたら 投票行ってもどうせ変わらない、という人が多いのも仕方がないように思います。 さらに高校生の政治活動禁止とか 先生が戦争法反対の署名集めたら止めされられるなんてことが起きています。 式典時の国家斉唱のとき口元をチェックするなんて話もあります。 うちの市内は原発事故で線量高いんですが 内部被ばく防止でマスクをしていたら合唱の時に外せと言われたとか 朝、校門前で「なんでマスクしてるんだ、外せ!」と恫喝されたって話がありました。(2011年の話です) 変な圧力が学校現場にあるのは事実です。 みんなで作り上げよう!とか、ことさら連帯感を強調させられたり そういう「例外を認めない」雰囲気の中で、自主性なんて育つわけないなあと思います。 互いの立場や考えを尊重しつつ 自分の意見を伝える努力 勉強して、 自分の考えを持って 自分で決めたことを伝える努力、 理解し合う努力 それこそが共生につながるのではないでしょうか? 誰かを縛ったり 排除したりする方向に走ってしまうのは まるで戦前ではなかろうか、と ちょっと寒気を感じるたけちゃんです。

参考サイト

自民党HPの草案pdf  http://constitution.jimin.jp/draft/

現憲法と対比した個人サイト http://tcoj.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

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